体育祭から学ぶこと 適材適所
体育祭ができてよかった
タイミングが梅雨入りとぴったり重なるという、体育祭を担当する先生に非常に悩ましい判断を強制することになった今年の体育祭。同じ日程で体育祭を予定していた市内の他の中学校でも同じ状況だったと聞いています。14日に続いて15日も延期になっていたら、体育祭は今日開催ということになっていました。が、その場合は前日に引いていたトラックのラインなどの準備を最初からやり直さなくちゃいけないから、体育祭の開始時間が遅れるかもしれないなど別の問題も発生して、やっぱり担当する先生は非常に悩ましい判断をしなければならないところでした。しかも今日は雨も降るという状況でしたから、先週の金曜日に体育祭を実施できて、正直ホッとしています。
適材適所とクラスの団結
転勤すると同じ市内の学校なのにこんなにも違うのか、と思うことがいっぱいあるのですが、今回の体育祭でもそうでした。例えば二人三脚のリレーまでは見たことがあったけど、二組の二人三脚が合体して四人五脚でゴールするなんて初めて見ました。また、PTAの種目はごく普通にありましたが先生チームと保護者のチームが対決するというのは珍しいのではないでしょうか。
さて、体育祭にはいろんな種目があります。走る種目は単純に走るのが早い人が有利です。綱引きは体重が重いほうが有利な種目です。玉入れは身長か、それともボールを投げるコントロールが影響するかな?
そんないろんな種目に誰が出るかを決めるとき、クラスのメンバーそれぞれが持っている能力とか特徴に合わせて決めることを『適材適所』といいます。そうすることが一番良い結果につながりやすいということは、すぐに分かることだと思います。
ところが、仲のいい友達と一緒にやりたいからとか、しんどいのはいやだからなるべく楽な種目に出たいとか、そんなワガママがいっぱい出てくることがあるんです。そうすると、仕方なく我慢して自分には合わない種目に出る人が出てきます。その人はしんどい思いをしながら頑張るんだけど、やっぱり合わないわけですから最下位になったりします。最悪なパターンでは、そのことで周りのワガママな人に攻撃されるとか、自分に対して自信をなくしてしまう。というようなことがおきます。『クラスの団結』なんてそこには存在しません。
『適材適所』が成立するためには、クラスのみんなが共通の目的・目標を持っていることが必要です。そして、クラスのみんなが共通の目的・目標を持っている状態を『クラスが団結している』と言うのです。つまり、体育祭を振り返るとき、その当日のことだけを反省してはいけません。誰がどの種目に出るかを決めたところから反省しましょう。
もしも、『適材適所』が成立していたならば、1年6組は『団結していた』と言えるのです。これは、賞状をもらえたかどうかよりも大切なポイントですよ。
なぜ「いじめ」は許されないか
体育祭は終わりました。でも、まだまだ1年6組が取り組まなくてはいけないことはたくさんあります。次の大きな行事は文化祭だと思います。昨年どおりであれば1年生は合唱をします。誰かがピアノ伴奏を担当しなくちゃいけないし、誰かが指揮者をしなくちゃいけません。美しい合唱のためにはパートリーダーも必要です。他にも毎日の生活の中で取り組むことがたくさんあるでしょう。
そういったこれからのいろんな場面でも『適材適所』を目指すには、クラスの中にできるだけ多種多様な能力や特技といったものを持った人がいる方が有利です。クラスのみんながまったく同じでは、様々な状況に合わせて柔軟に対応できません。いろんな人がクラスの中にいるということは、クラスとしての潜在能力をより高めていることになります。
なのに、人と考え方が違うとか、行動や言ったことが気に入らないからとか、そういったことをきっかけにしていじめる人がいます。それは考え方や能力をそろえろと言っている様なもので、クラスとしての潜在能力を低下させる行為です。それはめぐりめぐっていじめている人にとっても大きなマイナスです。
『いじめ』がなぜ許されないのか、その理由のひとつがここにあります。