文化祭・体育祭をふりかえって その2
結果はひとつひとつの積み重ね
体育祭で3年4組が所属する黄ブロックは第4位という結果に終わりました。たしか、午前中はずっとトップ争いをしていたはずなのに・・・。総合結果の発表後、何人か泣いている人がいましたね。『あのときに~していたら』とか、逆に『あそこで~しなければ』なんて後悔している人も、いたかもしれません。結果が出たあとで「たら・れば」の話をしても仕方がないんですが、あえて「たら・れば」の仮定の話をしてみたいと思います。
3年生の学年種目のキンボールで、4組は1回戦も2回戦も優勝した赤ブロックと直接対決をしました。もしも、どちらの試合にも4組が勝っていたとしたらどうなっていたでしょうか。黄ブロックに得点が追加されるだけではなく、赤ブロックの得点は減るわけですから、逆転とまではいかなくてもかなり点差を縮めることができていたはずです。さらに、他にもいろんな種目がありましたが、そのうちのいくつかの種目で黄ブロックと赤ブロックの順位が入れ替わっていれば、結果は黄ブロックが優勝で赤ブロックが4位ということもありえたのです。
僕が言いたいのは、いろんな種目の積み重ねが最後の結果につながっていると言うことです。最後の結果は大きな差に見えても、その中身をひとつひとつよく見ればほんの少しの差でしかないのです。個人種目であっても、また、団体種目であっても、それぞれの種目に取り組んでいる間は、その種目の結果が最後にどのようにつながるのかなんて、わかりません。でも、たとえ少しの差であっても、それを積み上げると大きな差になってしまうのです。
その一瞬に努力したか
最終結果がどういうものになったか。僕は、それにはあまりこだわっていません。それよりも、出場する種目のその時その一瞬に、どれだけ努力したか。どれだけ力を出し切ることができたか。どれだけ真面目に取り組むことができたか。そちらの方にこだわりたいと思っています。
一生懸命がんばった上での結果であれば、リレーでバトンの受け渡しがうまくいかなかったり、走っている途中でバトンを落としたりしても仕方がないと思います。また、走っているときにこけてしまったり、靴が脱げたりしたって、一生懸命がんばった上での結果であればあまり気になりません。
一生懸命がんばっている、努力している、というこころの姿勢は、言葉に頼らなくてもきちんと伝わるものです。普段、あまり話をしないような間柄でも関係ありません。伝わるというか、感じるのです。それが『仲間』というものです。きちんと何かが伝われば、結果として仲間の誰かが失敗しても、それを受け入れ、許すことができるものです。
仲間の誰かのがんばりを感じた周囲の人は、ついつい応援したくなります。そして自分もがんばろうってやる気が出てきます。時には普段以上の力を引き出されることもあります。このようにお互いに影響を与えあいながら、個人個人のつながりが強化され、個人の能力が伸ばされて、集団そのものも成長していく。1学期に少し話をしたグループワークってまさにこのことですが、4組はグループワークがうまく機能したのかどうか。そこにこだわりたいと思っているんです。
今年の体育祭で3年4組はどうだったのか。担任の目から見て、じゅうぶん評価できる内容であったと思っています。
これからの勉強にも活かそう
今回の体育祭で経験したこと、学んだことは、そのまま『勉強』につながるものなんですがわかりますか?
例えば、勉強することがどういうことにつながるのか、そのときにはなかなかわからないというところ。また、努力したかどうかの積み重ねが最後の結果に大きく影響するってところ。誰かががんばっていたら、周囲によい雰囲気を作り出すというところ。周囲の援助やはげましが個人の能力を伸ばすことがあるというところ。
勉強って個人で努力しなければならない部分もありますが、所属している集団の良い雰囲気によって個人のがんばり力が増幅されることもあります。成長した集団としての3年4組の力を、これからの勉強に活かさないと損だと思いますよ。まず、出来ることから始めましょう。