翻弄 2
あわただしい1日 その1
2020年2月28日金曜日
安倍総理による休校を要請する記者会見の翌日。さすがに教職員の出勤は早めである。
校長と教頭はどこかに電話をしては、深刻さと困惑と焦燥と、とにかく様々な感情を含んだ表情で相談をしている。すでに疲労もあるかもしれない。
職員室は数人のグループができて情報の交換や今後の予想をしている、この日を最後にしばらく授業がないかもしれないので急いでプリントを印刷する教師がいる。全体的に落ち着きがないように見えるが、その感覚は間違っていないだろう。
いろんな教師のところへ行って授業の交換を交渉している教師もいた。いつか授業を再開するときに各クラスの授業の進度をそろえておきたいのである。今は2月の終わり。いつ再開されるかわからない。卒業する3年生の5教科の授業は2月の私立高校入試までに終了しているので特に大きな問題はない。しかし、1年生と2年生は授業が再開されたときには、もしかしたら進級して新しいクラスかもしれない。その時に同じクラスの中に授業の進度に差があると困るのだ。休校中に家で取り組む課題を作る際にもクラスの授業の進度はそろっている方が好ましい。だからそのための調整をしたいのだが、そのチャンスはもしかしたらこの日しかないのである。
授業やクラスのことなどの負担が少ない教師の中には、この日の授業が多くて空き時間が少ない教師の授業を引き受け、負担を減らそうと声を掛けている。そんな教師がいることも庄田中の職員室の雰囲気が良いことの証明だろう。
ただ、授業のやり取りをするということはそのクラスの時間割の変更をするということ。普段であれば急な変更は問題になることもある。
例えば特別支援学級に在籍する生徒の中には普通級の教室でそのまま授業を受ける場合と支援担がそばにいて一緒に授業を受ける場合、そして支援の教室で個別の授業を受ける場合などがある。支援級在籍の生徒の状況に合わせて細かく対応するためにはいつ、どこで、誰が、どの支援担の担当で授業をするのかを決めるのだが、それはかなり高度なパズルのような難しさになる。
年々特別支援学級に在籍する生徒は増えているので、どのクラスにも支援級在籍生徒がいる。同じ日に数クラスの時間割が変更になると調整は格段にややこしくなってしまう。
しかし、今日は「とても深い事情」があるので仕方がない。とはいえ、支援学級の担任は在籍生徒一人一人の特性に合わせて不安を軽減したり持って帰らせるものを用意したりする作業を進めながら、時間割の変更に対応することになる。それは強烈で過重な負担を伴う。突然の休校でこの日の朝に決まった時間割変更をすぐに調整して対応しろというのがそもそも無理な話なのである。
そんな過酷としか表現できないような状況の中、それぞれが未知の壁を前にしていろいろと考え、お互いに気遣いながら手や足を掛ける出っ張りが何もないように見える巨大な壁をなんとかよじ登ろうとしている。それはもがいているようにしか見えない。学校現場でこんなに頑張っていることを文科省も教育委員会も知らないだろう。「なんだかなぁ」などと思いながら、もがき続ける教師たちにいつか感謝の気持ちが、言葉が届く日が来るだろうか。
生徒指導主事の高橋はいつものように登校してくる生徒たちを出迎えるために正門に立った。こういう状況だからきっと不安な生徒たちもいるはず。だからこそ「普段通り」を大切にしたい。そのためにも正門に立っていたいと考えたのだ。
同じように生徒たちを迎えたいと先頭を切って正門に行くのは屋島。1年生2年生3年生、それぞれに所属する若手の教師に声を掛けて正門へ行き、明るい雰囲気で「おはよう」と声を掛けて一人一人の顔色や表情を観察する。気になる生徒には「心配ないで」「大丈夫やで」などと声を掛ける。
屋島は30代の後半という年齢ではあるがフットワークが軽い。しかもオープンである。そんなところから若い教師たちの共感と信頼を得て、学級経営や授業のことでよくアドバイスを求められているのだが、それも納得である。
教員全員が正門に立つことはない。3年学年主任の江本と進路担当の清水は来週の公立高校の出願とその翌週の入試に向けてどんな対応ができるか相談する必要があるし、養護教諭(保健室の先生)は保健関係の様々な手続きを終えておくために封筒とプリントを用意するなど、やることがそれぞれにあるからだ。
増田もこういう時には正門に行くタイプだが、今の彼は教務主任。行事の予定や時間割について統括する立場なので校長、教頭から今後の日程についての指示や相談があるかもしれない。だから職員室でボーっとしているように見えるかもしれないが、今は待機をするのが増田の仕事なのだ。
8時22分、校長が増田のところに来た。
「いつもの職朝(職員朝礼のこと)は先に担任が教室に行って出欠確認をしたあとで始めますが、今日は先に8時30分から職朝をして下さい。最初に私から発言します」
庄田中では職朝の司会は教務主任がするので、それで増田に言いに来たのだ。
「わかりました」と答えて、増田は職員室の端まで届くように「8時30分から先に職朝を始めます」と告げ、時間割の一覧を見て1時間目に体育がないことを確認してから全校放送で「今日は8時30分から先生たちの打ち合わせを先にします。生徒の皆さんは担任の先生が行くまで1時間目の準備をして教室で待機してください」と指示を出した。
校長は増田のことが苦手だ。遠慮のない質問や指摘をしてくるし、その視点や内容が正しいことがよくあるからだ。自分の至らないところを正確に突かれているような気分になるのだ。今も教職員全体への通知と生徒への放送など、校長は思いついていなかったのに増田はさらっとやってのけた。本当は増田のことは嫌いなのだが、このように頼りになるから困っているし苦手ということになるのである。昔風の言い方をすれば「いまいましい」というところだろうか。
増田も校長に煙たがられているのは承知している。しているが、提案の不備や疑問点が見えてしまう。見えたのにそのまま放置するといつかどこかで混乱やトラブルになる。そうなったら後悔するのは自分。だから質問や意見を言う。そのことが校長には面白くないのだろう と。
ではどうしてほしいのか?
増田はすべての提案を完璧なものにして出すことは難しいとわかっている。もちろん目指して欲しいがそれは困難なのだ。教員の働き方改革の一環として職員会議の時間を短縮するなどの目的で、職員会議の前に分掌から提出される提案内容を管理職や主任、各分掌の代表で構成される運営委員会であらかじめ検討している。
しかし運営委員会は月に数回も開かれることがあるから、運営委員会のメンバーはその時間に仕事ができず負担は大きい。だから分掌からの提案は例年通りのものが含まれており、その場合隠れた問題点があっても深く考えず流されてしまうことがある。また新しい提案であっても、その分掌のメンバーでしっかり検討されているはず という意識で見てしまうことも。
このような事情から運営委員会で深く検討されないまま職員会議に提出されることがある。だから職員会議の中できちんと検討することが必要だと思っているのだが、教師の多忙な環境を改善する見通しはないし日々の仕事に追われて疲れてもいるので、このシステムを今後も継続するのは仕方がない部分はあると思う。財務省が予算を出して教員の給料を上げて、文科省が教員の仕事を減らし、さらに教員の定数を増やしてくれたらかなり改善されるのに。
話を戻そう。結果として最近の職員会議は「討論」をすることが減っている。学校によっては提案事項を聞くだけの時間になっている。誰も発言しないそうだ。文科省や教育委員会は子どもたちに考える機会を作るようにと言う。それは大切なことだし賛成だ。しかし教師は考えることを減らされているのではないかと感じてしまう。これは学校という組織のなかでの大きな矛盾ではないのだろうか。
指示されるのを待つだけの教師や自分が主体的に考えるのではなく人任せにする教師が増えている側面もあるように感じている。提案事項を伝達するだけの職員会議が増えているのはそういったことも関係しているのかもしれない。これはとても危険な兆候だと思う。
庄田中の3人の学年主任は全員30代である。若いと思う。それぞれふさわしい能力を持っているのだが、できることならもう少し学年主任ではなくフリーの担任として力を発揮してほしいところだ。なぜそうしないか? しないのではなくできないのだ。庄田中には40代の教師が2人しかいない。子どもの数が急減する時期があって教師の採用数を絞った時期がある。それが40代なのだ。
さらにこれから年代別人数が多い50代の教師がどんどん定年退職する。また自身の親の介護が始まり、勤務時間を削ったり退職したりする例も増えている。つまり主体的に提案内容を考えて指示を出す教師が不足するのだ。
討論になると発言するのはベテランばかりで、経験の浅い若い教員は発言しにくい。その討論に何の意味があるのかとの意見もある。だが、今ならまだベテランの様々な視点や考え方に触れることで教師としての学びにつなげられる面はある。またそれぞれの思いや考え方を知ることでお互いの理解も深まり、教師間のチームワークにプラスになる。さらにいろんな意見を経て確定した提案は共通理解が進むので分掌任せから全員のものになる。
だから増田は職員会議の時間が長くなりすぎることは望まないが、ある程度の討論ができることは良いと思っている。討論ができるチャンスにつながるからすべての提案が完璧なものでなくて構わないのだ。本当は、職員会議で提案された内容を変更することになっても、そのままどっしりと受け入れる人としての器の大きさを見せる校長でいてほしいと思っている。
学校は教員が不足しているだけではない。管理職も同様である。校長や教頭をやってくれる人が見つからず、定年退職した校長が教育委員会に強く要請されて校長を続ける例もある。校内だけではなく校外とのつながりもあってやることは多くて激務だし、責任は重い。そして校長も教頭もそれぞれ学校に一人ずつしかいない。孤独なのだ。
技術・家庭科の教師もそれぞれ学校に一人ずつしかいないことがほとんど。増田が教師になったときには技術・家庭科の授業は週に3時間あったので、赴任した学校には技術も家庭科も2人ずつの教師がいた。今は週に1時間か0.5時間しかなく一人ずつ。庄田中のような小規模校では一人の教師で技術も家庭科も担当して教師不足の対応の一環になっている。
特に技術の免許を持つ教員は全国的に不足している。だから増田は庄田中に転勤してきてから毎年「家庭科の臨時免許」という紙を一枚渡されて、自分自身が中学生だった時に学んだこともない家庭科の授業を担当している。校長という仕事とは比べ物にはならないと思うが、慣れない仕事に継続して取り組む苦労と孤独であることのつらさはわかっているつもりである。
そんな状況の中、校長を続けてくれているのだ。できないことがあってもいい。気がつかないことがあってもいい。それを埋めて支えるのが我々教員じゃないか。そうとも思っている。だからどれだけ煙たがられようとも意見や質問をやめない。一種の覚悟のようなものだろう。
実は増田自身、気がついていないことがある。過去にお気に入りの教師の意見だけを受け入れ、一方的で偏った学校運営を進めた校長の元で働いたことがある。学級経営や部活などで保護者からのクレームがあれば関わった教師の意見などろくに聞かずにその保護者の意向に沿った対応をすることもある。意見も言えず、考えてやったことを否定されるので職員室の雰囲気が最悪だった。
転勤を希望する教師が続出して翌年の3月には約半分が入れ替わった。また、その校長も自分の意に沿わない教師を追い出せたと喜んでいた節がある。とてもつらい経験だった。
その時に比べると自由に意見が言えるし、生徒たちのためにやりたいことができている。生徒全員へのアンケートで学校生活が楽しいと答えた割合が大阪府の平均を大きく上回っているのは、うまくいっていることを証明しているだろう。だから実は増田は今の校長のそんな姿勢を評価している。そのことに気がついていない増田も完璧な教師ではないし、そんなところもある人間だということだ。
校長自身はあまり積極的に物事を動かそうというタイプではない。他の教師たちのやることにあまり口出しもしない。信頼して任せているのかもしれないし、細かくチャックするのが面倒なのかもしれないし、実はあまりよく見ていないので気がついていないのかもしれない。とにかくなるべくトラブルがなく何事も穏便に終わってくれたらそれが一番。その姿勢で校長5年目を終えようとしている。平時の校長としては最も適しているタイプかもしれない。
教頭は前の年に市教委勤務から教頭になったばかりで、わからないことがあるのは仕方がない。それでも教師や保護者からの質問や意見に耳を傾け、寄り添う姿勢を示しながら、どうしてほしいのかを聞き取るというまじめで丁寧な仕事心がけている。だから教頭の仕事に気がついた周囲がそっとアドバイスをするなど教頭を何度も助けている。教頭はそのたびに丁寧すぎるほどの態度で感謝の気持ちを伝えるので周りはますます支えようと思う。
ベースは賢い人なのだと思う。だから校長を立てて自分は一歩下がっているようなところがある。今回のような突然の休校に対してもそのままの姿勢だと、もったいないかもしれない。