目指すべきクラスとは

なぜいじめはいけないか

 一昨日、学級通信の話から差別やいじめはいけないこと、そしてインターネット上のいじめやトラブルに関わってネチケットについて話をしました。今回の学級通信は、その続きです。
 今までに何度か、いじめに関わった生徒を指導したことがあります。その時になぜこんなことをやったのかという質問をすると「腹が立ったから」とか「遊びがだんだんエスカレートして」というような返事が返ってきたことがありました。中には「みんながやっているから」というものもあり、いろんなことがきっかけでいじめが発生していることがわかります。それだけいじめに対する対応はむずかしい面があるとともに、いじめ問題の根深さを思い知らされます。
 一昨日の学級通信からの話で、人にはこれから伸びていく能力があるのに、差別やいじめはその人の能力を否定し、将来の可能性の芽を摘んでしまうから、絶対に認められないんだと言いました。その人の能力や可能性を否定することは、その人の存在そのものを否定するようなことになってしまう危険性があります。だから、いじめられた人の心の傷は、とても深いものになってしまうのです。

ホッとできるクラスに

 いじめをする人は、もしかするとそのときにはスッとした気分を味わっているのかもしれません。ただし、それはきっと一時的なものでしょう。いじめた瞬間はスッとしてもその気分は長続きしません。だから、何度も繰り返すのではないかと思っています。
 本来我々が目指すべき人間関係やクラスはそういうものではないはずです。誰かを攻撃して一時的にスッとするようなクラスではなく、誰も攻撃しないし、誰も攻撃されない、みんなの居場所がそこにある、そんな『ホッ』とできるクラスが目指すべきクラスだと思います。逆にそんなクラスだったら、攻撃する必要そのものがなくなってしまうでしょう。
 話は急に変わりますが、最近突然思い出したことがあります。長い間忘れていたのですが…。 それは僕が中学2年生の今頃だったと思います。学年集会が開かれました。誰かが問題を起こしたとか、そういうことで開かれた学年集会ではありませんでした。全クラスが体育館に入ると、あるクラスの代表が何人か前に出てきて、全員に訴え始めたのです。「自分たちはクラス替えをしたくないんです」と。
 その代表が言うには、そのクラスは最初からまとまりもなく、全然面白くないクラスだったそうです。でも、このごろクラスが団結してきて、楽しくなってきました。やっと良いクラスになれたところなのに、3年生になってこのクラスのみんながバラバラになってしまうのは、イヤだ。このクラスだけクラス替えをしないでこのまま3年生になることを認めてほしいというのです。
 それから意見のやり取りがあって、最終的に全クラスでクラス替えは行われましたが、今思うとこのクラスはきっとホッとできるクラスだったんだろうなと思います。だって、学年集会をわざわざ開いてもらって、全学年に訴えようなんて、僕はすごいことだと思うんです。それをやりきることができたってことは、少なくともそのクラスの中には誰かを攻撃して一時的にスッとするような人はいなかったと思うのです。

どうすればよいか

 簡単にホッとできるクラスを作るマニュアルのようなものがあったらいいのですが、ありません。ひとつひとつ地道に努力を積み重ねていくしかないと思います。
 まず、掃除や係の仕事などをみんなできちんと責任を持ってやり遂げること。いろんな人とつながりを持ち、コミュニケーションを広げていくこと。このあたりは今までに何度も言ってきたことです。
 さらに、自分と人とのちがいを認め、ちがうことで争ったり攻撃したりするのではなく、ちがうことをそのまま素直に受け入れることも必要なことだと思います。それは、自分自身と自分の周りの人たちとを大切にするってことです。気をつけてほしいのは、単にワガママを通すのではないということ。誰かのワガママが通用するってことは、どこかで誰かが我慢しているってことだからです。
 でも、何より一番大切なのは、自分たちのクラスをそんなクラスにしたいと願い、自ら行動することだと思います。そう思いませんか?