学年通信 新年のあいさつと可能性のはなし

あけましておめでとうの意味

 新年を迎えると、「あけましておめでとうございます」とあいさつしますが、一体何がおめでたいのか気になったことはありませんか?
 昔は今ほど誕生日について細かく気にしてなくて、自分の正確な誕生日を知っている人はとても少なかったのです。今は誕生日を迎えると年齢がひとつ増えますが、昔はお正月を迎えると年齢がひとつ増えるようになっていました。これを「数え年」といいます。つまり、お正月には日本全国でみんな一斉に年をとっていたのです。今でも、長寿のお祝いや占いなどではこの数え年を使う場合があります。
 数え年を使っていた時代には、今のように医学が発達していなかったので病気やケガなどで命を落として、お正月を迎えられない子どもがたくさんいました。お正月を迎えて年齢がひとつ増えるということは、1年間生き続けることができたということです。だからお正月を迎えられたことは「おめでたい」ことなのです。
 お正月にはあいさつ以外にも独特の飾りつけなどをすることがあります。新年の神様を家にお迎えするためのものです。この新年の神様を年神様といいます。年末に大掃除をするのも年神様を迎えるための準備です。年神様は初日の出とともにやってきて鏡餅に宿ります。そこでお正月を無事に迎えられた子どもが、来年もまたお正月を迎えられるようにと、大人たちは年神様の力が宿ったお餅を子どもにあげました。それを食べさせることで1年間の無病息災を願ったのです。このお餅が「お年玉」の起源です。「お年玉」の『玉』は『魂』すなわち『命』につながっていました。

人が持つ無限の可能性

 生きていることはめでたいだけではなくすばらしいことです。その理由はいくつかあると思いますが、そのうちのひとつ、『人間には無限の可能性があるから』という答えが好きです。
 人間は周囲の人たちとつながって影響を与えたり与えられたりします。ある人の可能性が周囲の人に影響して、新たな可能性を創り出すこともよくあります。ただ単に可能性があるというだけではなく、いろんな可能性や偶然といったものが複雑にどんどん絡み合っていくことで、将来、可能性がどこまで広がっていくのかわからない。そういうところが好きなのです。
 もう何年も前の話ですが、過去に担任していた生徒を新聞記事で見つけました。大学を卒業してから外国へ行き、現地の子どもたちに柔道を教えているという内容でした。中学生の頃には勉強が大嫌いだった彼が大学を出て、外国で暮らしていたことにとても驚きました。
 中学生の時のイメージとずいぶん変わったのは、進んだ高校での新しい友だちや先生との出会いが影響したのかもしれません。ついでに書くと、その生徒は公立高校を受験したのですが合格できず、私立高校に進学することになってかなり落ち込んでいたのです。それが新聞記事で扱われるまでになるとは…。人間は何が影響して、どこまで可能性が広がるのかわからないという実例だと思います。
 10年後や20年後、この◇◇中の2年生はどうなっているでしょうか。なんだかワクワクします。

 そんな人間が持っている無限の可能性をつぶす行為をする人たちがいます。いじめも差別もそんな行為のひとつです。人の持っている可能性を否定するという、そのことだけで許すことができません。
 みんなは、いじめや差別をしないことはもちろん、いじめや差別を許さない。そんな生き方を目指して欲しいと思います。そのためにも、まず自分自身と自分の周りの人たちの可能性を大切にしてこの1年を過ごしてください。