新作 学級通信 やさしい人になりましょう

文化祭や体育祭の取り組み

夏休みが明けて、これから文化祭や体育祭の取り組みが本格的に始まります。
当日までの期間はクラスの全員がそろって仕事分担を話し合ったり練習に取り組んだりする場面もあると思います。その場合はもっと良いアイデアを出そうとする真剣に考える姿勢やお互いに励ましの声を掛け合ったりする場面が見られると、クラスみんなの気持ちがひとつになったと感じやすいと思います。
また係に分かれて、メンバーで相談したり仕事分担の準備を進めたりすることもあるでしょう。この場合はそれぞれの活動場所が離れていたりするので、クラス全体の気持ちがひとつになったかどうかはつかみにくくなります。「きっとみんな頑張っているはずだ」と信じる気持ちが大切なんでしょうね。

ある日の放課後

文化祭や体育祭のその日の準備作業を終えた放課後、廊下を歩いていたら教室から物音が聞こえてきたとします。そっと中を見ると他に誰もいない教室で、ひとりの人が黙々とガタガタになった机やいすをきれいに並べていました。そんなところを偶然見かけたとしたらみんなはどう思うでしょうか?
「何をしているのだろう?」 まず、そう思うと思います。そして、その行動がクラスのみんなのためしていることだとわかったとき、「やさしい人だな」 と思うのではないでしょうか。次に「なぜこんなことができるのだろう? 誰も見ている人がいないのに?」 そう不思議に思う人もいると思います。でもね、どんな時でも見ている人は必ずいるのです。他に誰もいない教室の中でも見ている人は必ず1人いるのです。
いつも見ている人。それはその人自身です。

やさしい人はどうしていつもやさしいのか?

自分がやっていることを、自分は必ず見ています。やるべきことや言った方がいいことに気が付いたら、他の誰かが見ていなくても自然に行動したり言ったりするのは、自分が見ているからです。
逆に、何もしなかった時も自分は必ず見ています。やるべきことに気が付いたのに何もやらなかったときも、クラスの仲間の褒めたいところや励ましたいところを見つけたのに何も言わずに黙っていたときも、自分は見ています。黙っていれば、他の誰からも非難されることはありません。でも、その時に感じる 重さ 暗さ 冷たさ 後ろめたさ 寂しさ・・・
それら心の痛みにも似た感覚が、その人はたまらなくイヤなのでしょう。
やさしい人はどうしていつもやさしいのか? これが答えのひとつだと思っています。

クラスに欲しいもの

さっき、文化祭や体育祭の準備の途中でクラスの全員がそろって取り組む場面と、仕事分担をして係ごとに取り組む場面があると話しました。実はこれ以外に担任としてこのクラスにもうひとつ欲しい場面があります。
それはクラス全員でやるほどでもないし、どこかの係の仕事に含まれるものでもない。でもそれをすればクラスのみんなが気持ちよく過ごせるとか、それを言えばクラスの誰かが元気になれるとか、そんなことに気が付いてすぐに実行する場面です。
さらに、そんな行動や言葉に気が付いて「誰がしてくれたの? ありがとう」という感じで感謝の気持ちを伝えられる人がクラスの中に何人もいたら、もう担任としては言うことがないです。
文化祭の発表内容で観客を感動させることができるか。体育祭で団の雰囲気を盛り上げて優勝することができるか。それらもクラスにとって大切なことですが、僕は文化祭や体育祭の結果だけではなく、取り組み中のクラスの様子を大切にしたいのです。

ひとりひとりがやさしい人になりましょう。