球技大会と言葉ではないメッセージ
球技大会の結果
昨日は全国的にとても暖かい日だったようで、グラウンドに出ていても寒さを感じないような中、2年生の球技大会が行われました。
体育祭の全員リレーの結果なんかを思い出すと、たぶん4組は優勝とは縁がないなと思っていたんですが、結果は3勝2敗で勝率だけなら2位。でも、得失点差(4組の得点から失点を引いたもの)で3位ということになりました。閉会式後、結果の一覧表を見て4組が3位だったということを知って大喜びしている人がいましたが、優勝した2組が4勝1分けだったので、2組との直接対決で4組が勝っていたら優勝は4組だった可能性もあったのです。前の日の昼休みに練習をしたクラスもあったのに4組ではそんな話はまったく出ていなかったので、こういう結果を残すことができて、惜しかったなぁという気持ちと、ちょっとびっくりしたというところが、僕の本音です。
球技大会の前に
実は、ちょっとびっくりしたというようなことが、球技大会の前にもありました。
ひとつはチームメンバーの決め方。男子はグーとパーでまず2つに分けて、顔ぶれを見て少し調整をしていました。女子は6つの班を3つずつまとめてそれでええやん、ってことでめちゃくちゃ早く決めてしまいました。勝つためにどうするか、よく考えようとかじゃなくて、公平公正な決め方でさっさと済ませてしまうという4組の雰囲気は、担任としてちょっとびっくりしたけど、ちょっとうれしかったです。
もうひとつは、試合の審判と得点係を決めたときです。チームごとにどのコートに誰が行くのかを決めてもらい、黒板に書き込んでもらったのですが、放課後にその一覧を見ていてちょっとびっくりしたんです。
4組には学校になかなか来ることができない人がいます。その人の名前が得点係のところに書いてあったのを見つけたからです。球技大会だからといってその人が来ることはないだろう、というぐあいに考えて最初から係分担をはずしておくこともあり得たのに、来たときのことを優先して考えている。しかも、急に来て審判をするのは無理だけど、得点係なら大丈夫だろうというような配慮もちゃんとしているように僕は感じました。
4組の中には、その人のことをずっと忘れないでいてくれる人たちがいて、担任が何も言わなくてもちゃんと考えてくれている人たちがいて、そして「普通」というか「あたりまえのこと」として対応していくことができているわけです。担任として、ちょっとびっくりしたし、とてもうれしかったです。
言葉ではないメッセージ
今まで何度もコミュニケーションの話をしてきました。で、このコミュニケーションには言語によるものとそうでないものがあります。「そうでないもの」としては、仕草とか態度といったものが含まれます。
学校に来ることができない人は、「どうせ自分のことなんて誰も気にしていないだろう」と考えていることがあります。そんな人に対して、今回の球技大会で得点係にあてていたということは、「私たちは忘れていませんよ」ということを伝える言葉ではないメッセージになっている可能性があります。
でも、相手にこのことが伝わらなくちゃ意味がない。そう考える人もいるでしょう。そんな心配はいりません。先週のうちに、このことを手紙に書いて届けておきましたから。本当は僕が行くのではなく、4組の中の誰かが届けに行くことができたらもっと良かったとは思います。そのあたりは課題かもしれませんね。
言葉ではないメッセージは、学校生活の中にいっぱい溢れています。掃除や係の仕事をするときや、机を班の形にするときなど、さぼったりしていたか、それともきちんとやっていたか、それが周囲の人たちに言葉ではないメッセージとして届くことになります。
昨日の球技大会でも同じです。たとえ球技は苦手でも一生懸命頑張っていたら、それはメッセージとして周囲に届いています。しっかりと声を出して応援していてもそうです。
良いメッセージがいっぱい出されていて、それが周囲の人たちにきちんと受け取られているクラスは、良いクラスと言えると思います。