考えることにこだわろう
先日の朝学
先日の朝学で理科のプリントが配られましたが、その内容は磁石や磁界についてのもので、まだ授業で習っていない内容でした。
理科は第一分野を先に進めるのか第二分野を先に進めるのかによって、朝学の進度とズレが生じるときがあります。社会も歴史か地理かで同じようなことが起こり得ます。他に行事などで時間割の差が発生して、あるクラスだけ習っていないようなこともあるかもしれません。だから時間割担当の先生は、裁量の時間を活用したり、時々特別時間割を組んで調整するし、朝学担当の先生は教科の先生に授業内容の確認をしたり、別の課題を用意してタイミングの調整をしたりということをやっています。それでも調整しきれないこともあります。
今回は、教室に置いてあった朝学プリントが1回分しかなくて、それを配ったのだと僕は思っていました。ところが、あとで見てみると朝学のプリントはその週の分もすでに取りに行っていて、他にも4日分ぐらいありました。この点に関しては、朝学係の人はちゃんと責任をもって仕事をしていたわけで、素晴らしいと思います。
ただ、そうなると次の疑問がわいてきます。授業で習った内容の朝学が別にあったのに、なぜ、それを配らなかったんだろう? ということです。
考えることとパターン化
朝学のプリントを配る時に、自然にプリントの内容が目に入ると思います。その時になぜ気づかなかったのでしょう。おそらく、「朝学のプリントを配る」ことだけしか頭の中になく、何も考えていなかったのではないか、と思っています。
人間は同じ行動を繰り返すとき、その行動を「パターン化」して脳の負担を減らすことがよくあります。例えば補助輪なしの自転車に乗るとき、始めのころはバランスをとろうと脳がものすごく活動しているので、肉体的にも疲れますが精神的にも疲れています。自転車に乗りながら周りの景色を楽しむ余裕なんてありません。ところが、毎日のように自転車に乗り続けていると、自転車に乗ることが「パターン化」されて脳の中で素早く処理され、特に意識しなくても自転車に乗ることができるようになって、周りの景色を楽しめるようになります。
最初から行動を「パターン化」していることもあります。ハンバーガーショップやファミレスなどでは、就業前の手洗いの方法や注文を受けるときの「マニュアル」があったりしますが、これなんかがそうです。
「パターン化」は場合によっては必要なことではあるんですが、一方、大きな危険性を持つ面もあります。最初から「パターン」を要求して「考えること」をしないようになる、普段から考えていないから想定外のことが発生した時に対応できなくなる、などの危険性です。一番怖いのは、考えることをしないで毎日過ごしているうちに「考えない」ことが「パターン化」してしまうことではないかと思っています。考えることを苦手にしている人が以前よりも増えているような気がして仕方がないのは、こういうことに関連性があるのではないかと思うんです。
考えることにこだわろう
人間が考えなくても組み込まれたコンピュータが考えてくれる。そんな電化製品がどんどん増えています。省エネにつながることが多いので、これからもこの流れは進んでいくと思います。だけど、このまま人間が考えることをもっともっと減らしていくと、それは退化ではないかと思います。ぜひ、「考えること」にこだわってほしいものです。
先ほどの朝学の話に戻します。あのあと、朝学の係の人たちが、朝学のプリントを配る前に、そのプリントの内容を確認してから配っているシーンを何回も見ました。同じことを繰り返さないように「考えて」そういう行動につながったんだと思います。おかげで、あの日以来、朝学はスムーズにできているように思います。経験を生かすということは、こういうことなんだ! 考えることで、このように変われるんだ! という見本を見せてもらったような気がします。
さて、また文化祭の話です。5組はポスターカラーを一切使わないホリゾントや舞台上の大道具内にも仕込んだドライアイスのスモーク、OHPの活用やカーテンを使ったスクリーンなど、他のクラスとは違った取り組みをやりました。それらの経験を同じように来年の文化祭で生かしてほしいです。そのために、やってみてどうだったのかを考えてください。心配なのは、みんなに書いてもらった文化祭の反省や感想を読んでいて、全然考えていないんじゃないかと感じる人が何人かいること。今からでも遅くはありません。もっとこうすればよかったかな。などと考えてください。