文化祭・体育祭をふりかえって その1

修学旅行よりも好き

 文化祭・体育祭が終わりました。準備期間を含めると長い長い取り組みでした。何しろ夏休み前に星新一の作品でオムニバスにしようと決めてからだから、4ヶ月近いんじゃないでしょうか。修学旅行も確かに思い出に残るし大切な行事ですが、僕はこの長い期間取り組む文化祭や体育祭の方が好きです。取り組んでいる間にいろんなこと、例えばクラスの誰かの新たな面を発見したり、友人関係が変化して人間としての幅が出てきたりすることを見ることができるからです。
 様々な経験を積むことで成長する姿を見られたりすることも理由のひとつです。長い取り組みの中では、必ず何らかの問題が発生します。また、決断を迫られることもあります。そんな時にどう考え、どう行動し、解決していったか。そういった経験を積むことで、人間として大きく成長していくことが出来るんです。問題を解決する能力も、決断力も、これから先生きていく上でとても大切なものであり、必要なものです。
 自分のクラスの生徒が様々な経験を通して成長していく。そんな姿を見ることが出来るなんて、担任としてこれほど幸福なことはないと僕は思っています。

劇で蒔く種

 もう何年も昔のことです。そんなに大きくない劇団でずっと役者をやっている人と、一緒に話をしたときのことです。その人はテレビ等に出ることもないし、給料もほんとに少ないけれど、演劇にこだわっていました。その理由を聞いたときです。
 していいことか、いけないことかを判断するのは『理性』ですよね。それから、いろんな物事についての知識などをまとめて『知性』といいます。そして、かわいそうと思ったりする人の心の動きを『感性』といいます。
 さて、『理性』に影響するのは『知性』か『感性』か、どっちだと思います? 僕は『感性』だと思うんです。これはしてもいい。これはしてはいけない。そんなことを知識として教えても、『理性』にはつながらないですよ。それよりも人の悲しみや苦しみを心で理解し、仲間と一緒に何かをする喜びを知る。そういった経験を積んで『感性』を磨く方がずっと『理性』につながるんです。いい例が原爆です。驚異的なエネルギーを取り出す『知性』を人類は持った。でも、原爆を使った時に巨大なキノコ雲の下で、そこにいた数十万人の人間がどんなに苦しみ、どんなに悲しむか、それを想像する『感性』を持っていなかったために、原爆を使ってしまった。しかも、2度も。
 僕は、劇を見た子ども達の心に『感性の種』を蒔いているんです。いつか大きく育つように願いながら。そのために役者を続けているし、作品の内容も選んでいる。
 という答えが返ってきました。

3年4組の劇

 僕は、3年4組の劇を観客に何かを訴えられるものにするつもりでした。見た人の心に『感性の種』を蒔きたいと思ったからです。もしかしたら、中学生には難しい注文だったかもしれません。けれども、4組のみんなは、よく頑張ったと思います。確かに、もう少しこうすればというところもありましたが、プロではないのですから完璧を望むのは酷だと思います。
 人数に余裕がない中で自分の係以外の仕事を積極的に手伝ったり、道具などに工夫を凝らしたりするなど、役者以外の人たちも、そして役者の人も、全員が少しでも素晴らしい劇にしようという気持ちが伝わってきました。時間ぎりぎりまで、どうすればいいかを考えて、演目の順番を当日の朝になって変えるという、少々無茶なこともやりました。笑いをとるだけの劇ではなく、自分たちだけが盛り上がる劇でもない。そんな劇を目指すことが出来たと思います。その結果、何度も見てきた練習の時よりも、本番が一番すばらしいものになりました。
 『感性の種』は蒔けたのかどうか。これを確かめるのは難しいよなぁと思っていたら、体育祭後の閉会式の時に、校長先生の話の中で4組の劇のことが触れられていました。そのおかげで『種』が届いていたことがわかりました。これは、みんなで作り上げた成果です。きっと、もっとたくさんの人の心にも届いていると思います。実際、体育祭後の後かたづけを手伝っていたら、何人かの生徒が4組の劇に関して僕に声を掛けてきました。その人達にも『種』は確実に届いていました。
 文化祭の取り組みを通して、たぶん取り組んだ4組のみんなの心にも『種』は蒔かれているだろうと思っています。