おもてなしの心

おもてなしの心

 文化祭当日の朝、僕は教室で「おもてなしの心」について触れました。会場で見てくれる人に少しでもいいものを見せようと考え、工夫を重ねていくことが大切なんだというような話をしたつもりです。
 そのせいかどうかはわかりませんが、当日の発表を見ていて台本にないアドリブのセリフがあちらこちらに出ていたり、実際の練習は一度もしてないけど文字通りぶっつけ本番で見事に成功させた照明の連携技があったりしましたね。担任として見ている僕は、最後までドキドキしていました。

 9月22日付の学級通信で、創る人と壊す人の話を載せましたが、創る人と壊す人、その違いは何か分かりますか? いろんな考え方があると思いますが、僕はどこまでがんばるかを決める基準の差かなと思っています。つまり、「自分なりにがんばった」のように「自分」だけを基準にして考えるのか、「あの人もがんばってるから自分もがんばろう」とか「見に来てくれた人に楽しんでもらおう」のように「自分以外の人」を基準にして考えるのか、の違いです。そして、「自分以外の人」を基準にして考える心が、「おもてなしの心」なんです。
 一流の料理人は、お客様に満足してもらうために料理の味はもちろん、料理を盛りつける器や料理を出すタイミング、テーブルや部屋の装飾などにまで気を使います。そこにはピンと張り詰めた緊張感が漂っているものです。それが客に感動を与えます。しかし、料理を食べるお客さんのことを考えない料理人が出した料理は、感動を与えるどころか「押しつけ」のようになってしまうことも…。

4組の失敗と反省

 さて、文化祭で、4組はいくつもの失敗をしました。言うべきセリフを飛ばしたりセリフをかんでしまったり、笑いながらセリフを言ってしまったりした声優チーム。まだ舞台上に残らなくてはいけないのに、間違えて舞台そでに引っ込んでしまった操演チーム。タイミングが間に合わず流せなかった音がある音響チーム。などなど、中には見ている人たちにはわからなかったかもしれない失敗もありますが、少なくとも本人には失敗だったとわかっているはずです。
 これらの失敗のすべてを責めるつもりはありません。準備期間中に精一杯努力したけど、前の日には一度も通し稽古ができなかったし、やっぱり本番ということでたくさんの観客がいるためにすごく緊張してしまい、それで失敗したのなら責めることはできないと思うのです。また、少しでも良い作品に仕上げるために直前になって相談したり考えたりして挑戦したことがあったとしたら、そしてそれが原因で失敗したとしたら、やはり責めることはできないでしょう。
 しかし、「自分としてはがんばったつもり」という人はいなかったでしょうか? また、準備の時に何をすればいいか自分で探すなりすればいいのに、おしゃべりをしていた人はいませんでしたか? 時間的に余裕がないのに緊張感もなく、カッターナイフで紙を切り刻んでみたり、技術棟の工具等をさわったりしていた人もいましたね? そういった人たちは、きちんと反省をするべきだと思います。

創る人に

 4組では文化祭の準備期間中に担任がいないことがよくありました。スポットライトや集音マイクの故障を修理したり、幕の上端に1mぐらいの裂け目ができているのを見つけて、はしごで登って安全ピンによる応急処置を施したりしていたからです。他にも文化祭に関わる仕事で教室によくいませんでした。誰かが呼びにくるたびに『おれは担任やねんけどな』と思ったこともありました。でも、前回の学級通信で書いた「来年につながる経験」をしてもらうには、良いチャンスだと考えたのも事実です。あえて君たちにまかせきることで、自分たちで考え、協力して準備を進めざるを得ない状況にしたのです。
 今回の文化祭での経験は、そういう面でも大切にして欲しいと思っています。そして、4組のみんなには『創る』人になって欲しいと願っています。
 文化祭が終わって、教室に行くと後ろの黒板に『がんばってよかった』と書いてあるのを見つけました。その気持ちがあれば、きっとなれると信じています。