センスを磨く努力を
2年生の授業で
今、2年生の技術科の授業は家庭科とのコラボレーション企画でインターネットをやっています。家庭科の授業で塩、みそ、砂糖など6つのテーマの中から自分が調べるものを決め、技術科の授業でそのテーマについてインターネットで調べ、さらに家庭科の授業の中でそれをまとめて発表するというものです。
2年生でインターネットを学ぶのは、1年生でワープロソフト、3年生で表計算ソフトとプレゼンテーションソフトを学ぶこととあわせて、将来みんながビジネスマンやビジネスウーマンになったときに、使いこなすべきソフトの基本を身につけてもらう計画の一環にもなっています。
さて、あるクラスでインターネット検索をしているとき、ある男子が使えそうなサイトを見つけました。ところが、見ているとここが使うべきポイントだと思う部分を使わないで、調べるポイントからズレていると思う部分のデータを利用するためにコピー操作を始めたんです。そこで、つい「ここを使わないでこっちを使うなんて、ちょっとセンスがないかなぁ」と言ってしまいました。
すると、その男子は笑いながら「そんなセンスなんて、いらんわ」と答えました。別にすねたような様子もなく、僕の言葉への反発という感じでもなく、本気でそんなセンスはいらないと言っているようなのです。「そんなこと言わずにがんばれ」と言っておきましたが、その言葉に僕はなんだか引っかかってしまい、よく考えてみました。
センスとは
まず、センス(sense)とはそもそも何なのか。いろいろと調べてみました。辞書では、「物事の微妙な感じやよさを知覚する心の働き。特にその感じ方、理解の仕方、表現の仕方」とありました。このあたりはだいたい予想通りです。
次にインターネットでも調べてみました。すると、センスという言葉には、「判断」とか「意味」といったものが含まれていることがわかりました。「判断」を含まないで気分や感情に強く関連するような場合には「センス」ではなく「フィーリング(feeling)」が使われるようです。
つまり、センスとは「言葉にできないようなものに対して、感覚だけで意味を感じたり判断したりするもの」と言えそうです。運動やスポーツに関係することや音楽や美術などアートな世界に関係するもの、政治や工場での機械の操作などいろんな分野に「センス」がありますが、それに携わる人たちはみなそれぞれの「意味」をどうとらえ、どのように身体を動かすのかや、どう表現するのかを「判断」していくのだと考えたら、僕の中では「センス」の意味がすんなりと納得できました。
センスを磨く努力
授業中に「そんなセンスなんて、いらんわ」と言った男子の話に戻します。
インターネットで調べたことは、後日、家庭科の授業でまとめて発表するわけですから、その時に役に立ちそうかどうかを判断することって、僕はとても大切だと思うんです。的確に「意味」をとらえ、「判断」をするときに必要なものが「センス」ということになりますが、それが「いらない」ってのはどう考えてもおかしい。僕の心の中のどこかで引っかかったのはそのあたりに原因がありそうです。
将来、就職して給料をもらうようになった時、仕事を進めていく中で必ず「センス」が要求されると思います。そして、そのセンスが「会社にとってのその人の価値」となって、給料などの差につながっていきます。そうなると、「そんなセンスは、いらない」なんてことは言わないでしょう。たとえ会社に求められている仕事に必要なセンスが自分になかったとしても、少しでも自分のセンスを磨く努力をすると思うのです。
「そんなセンスなんて、いらんわ」と言った男子は、おそらくそこまで考えていなかったと思います。とりあえずインターネットで調べたものを、内容なんて考えずに適当に書き溜めていけば課題をやったことになります。そして、家庭科の発表でも内容はあまり考えず適当にまとめたら課題をやったことになります。そんな目先のことだけを考えるのではなく、彼はもっと遠くのもっと大きな目標を見つめて、やる気を持って取り組み、少しでも自分のセンスを磨くための努力をするべきだったと思います。
1年1組のみんなにも覚えておいてほしいです。
※この学級通信は、タブレットが配置されるよりもはるか10年以上前に出されたものです。