原因と結果はつながっている
1学期の終業式の日に
夏休みが終わりました。夏休みが始まる前は、「これから長い休みが始まる!」とワクワクしていたのに、2学期が始まると「もう夏休みが終わってしまった↘↘」などと感じている人もいるかもしれませんね。
さて、夏休みに入るその前の日、つまり、1学期の終業式の日のことを覚えていますか? 台風の影響で暴風警報が出たために午後から終業式が行われたあの日のことです。終業式が午後になったのは、僕にとっても初めての経験でした。
終業式のあと、教室に戻ってプリントなどを配って必要な説明をしてから通知表を配ったんですが、自分の成績を見て「やばい。こんな成績、親に見せたら殺される!」などと叫んでいた人がいましたね? 叫んではいないけれども、同じように「どうしよう」というあせった気持ちになった人は他にもいると思います。僕が気になっているのは、そんな人たちがこの夏休みをどう過ごしたのだろうかということです。
原因と結果はつながっている
『因果応報』という言葉があります。もとは仏教用語として日本に伝わったようです。
因は、原因のこと。果は結果のこと。応は相応に、報は報いる、です。つまり、因果応報とは「結果は原因に相応に報いるものである」という意味です。だから、良い原因があれば良い結果につながり、悪い原因があれば悪い結果につながるのですよ。ということになります。これを善因善果、悪因悪果とも言います。(仏教での本当の因果応報の意味はもっと深く、時空間を超えるような大きなものですが、ここでは一般的な解釈に留めています)
因果応報の、ある意味怖いところは、得られた結果が新たな原因となって次の結果につながることがあるという点です。原因と結果はつながっていますが、結果と原因もつながっていたりするのです。良い結果が良い原因となって、さらに良い結果が得られる。これならばいいのですが、悪い結果が悪い原因となって、もっと悪い結果に結びつく。さらにそれが原因になって… これはできるだけ避けたいところですよね。
テレビでスポーツを見ていると、何かがきっかけになって、どんどん良くなって何をやってもうまくいくような場面や、逆にどんどん状況が悪くなって何をやってもうまくいかないような場面を見かけることがあります。因果応報の意味が、わかるような気がします。
どんどん悪い状況に落ち込んでいく時、どこかでこれを断ち切って良い方向に切り替えなければなりません。スポーツの場合、たったひとつのプレーで変わることもあれば、選手みんなで円陣を組んで気合いを入れ直すことで変わることもあります。深呼吸をするとか、チームメイトの一言だけで変わるかもしれません。何がきっかけになるか分からないから、いろいろとやってみるしかないのです。
あきらめたら何も変わらないでそのまま終わってしまう。はっきりとしているのはそれだけかもしれません。
あがいて もがいて ジタバタしよう
善因善果、悪因悪果と同じような言葉に自因自果があります。自分で原因を作ったならば、その結果は自分に返ってくるというような意味です。先ほどの成績の話に戻すと、1学期の成績が良くなかった人は、どこかにそうなった原因があるはずです。そして、その原因は自分で作ったものです。その結果はきちんと受け止めなければなりません。ただし、あきらめて、それをそのまま放置していたら、やはり何も変わらないでそのまま終わってしまいます。1学期の成績が良くなかった人たちは、この夏休みをどう過ごしましたか? 僕が気になっているのはそこなんです。
夏休みに何もしなかったという人の中には、カッコ悪いことやめんどくさいことはやりたくないという人がいると思います。しかし、スポーツの話で触れたように何がきっかけで変わるか分からないんです。もちろん、周囲からのサポートも重要ですが、カッコ悪かろうが、めんどくさかろうが、まず本人自身があがいて、もがいて、ジタバタしなければ、その状況を変えることはむずかしいと思います。そのことが良い原因になれば、きっと良い結果につながります。
少しでも良い原因につながればということで、席替えもしたいと思います。しっかりとがんばろうというやる気ある班長を募集します。班長に立候補する人は担任まで。