マクロ的発想と共通認識
ミクロはわがままか?
昨日の学級通信で、もう少し言いたいことが残ったので続きを書きます。
早速ですが、ミクロとマクロ、良いのはどちらですかと質問されたらどう答えますか? このとき、イメージとしてミクロ的な発想のほうが『自己中心的』とか『わがまま』と捉えられがちです。逆に、マクロは全体(みんな)のことを考えているようなイメージがあって、受け入れられやすいんです。だから、マクロの方が良いと答える人が多くなるようです。
確かに周囲のことを考えないで自分のことばっかり考えて行動している人を見ると、腹が立つこともあります。その人は、ミクロ的な発想しかできていないのかもしれません。でも、ミクロ的発想のすべてが「わがまま」なわけではないし、「ミクロ=悪」と決まっているわけでもありません。
マクロとミクロのバランス
昨日の学級通信で、学年の先生の話にふれました。ある先生がミクロ的な動きをして、別の先生はマクロ的な動きをする。状況に合わせて、それらがうまくかみ合ってバランスがとれていると、生徒にとっても良い感じになります。では、どうすればマクロとミクロのバランスがとれるのでしょうか。
大切なのはメンバー全員がマクロ的視点を持つことです。そして、メンバー間で頻繁に情報を交換したり意見交流をしたりしながら、お互いの考え方や過去の経験などを共有します。これを「共通認識」とも言います。
普段から共通認識を深めておくと、問題が発生した場面で協力して何か行動しなければならない時、ミクロ的に動く先生とマクロ的に動く先生とに役割分担をすることができるのです。適材適所といいますか、それぞれの先生の特徴を生かした分担が自然に出来上がります。
ミクロ的な動きをする先生は、他の先生がマクロ的な動きでフォローをしてくれると分かっているから安心して進んでいけるんです。マクロ的な動きをする先生は、ミクロ的な動きをする先生が大きな流れを作ってくれるからバックアップができるんです。事前の打ち合わせもなしに、そういった動きを作ることができたら最高です。
そういったバランスがうまくとれていると、全体の流れをマクロ的にとらえながら、個人の悩みに気がついたり相談にのったりするミクロ的なこともできるようになります。要するにマクロとミクロを別々に考えるのではなくて、両方の活用を考えて状況に応じて使い分ける感じでしょうか。
マクロ的視点の経験をする
君たちにとってミクロ的視点を経験するチャンスは普段からたくさんあると思います。しかし、マクロ的視点を経験するチャンスは、まだまだ少ないと思います。社会人として活躍するためにはマクロ的視点が不可欠なのに、その経験をできないままでは将来がちょっと不安です。状況に応じてマクロとミクロを使い分けるなんて難しすぎるでしょう。
合唱にならないか考えて欲しいと思った理由はこの部分にもあります。僕は2組のみんなにもっと「マクロ的」な見方をして欲しいと感じているんです。そこで、実際に学年や学校全体の視点から劇か合唱かを考えてもらうようにしたというわけです。そんな経験を積み重ねていくことが大切だと思います。
いろいろと考えてもらった結果、2組は劇をすることに決まりました。脚本も昨日、なかなか微妙な差ではあったけど多数決で決まりました。これから登場人物が6人しかいないのでそのキャスティングを決めなくちゃいけないし、照明や音響などの仕事分担も決めていきます。
どんな劇に仕上げていくのか、ひとりひとりがイメージを膨らませながら、もっと工夫できることはないかよく考えて、積極的に行動しなくてはなりません。その際、『マクロ的な視点』と『共通認識を深めるためのコミュニケーション』を意識しておくことも必要です。
みんなの努力が実って、後々まで語り継がれるようなすばらしい発表ができると同時に、2組の中の人間関係ももっと良くできたらいいなと、担任としてがめつく思っています。