ミクロ と マクロ 二つの見方
文化祭は劇か合唱か
◇◇中の文化祭では1年生は合唱、2年生は劇、3年生はどちらかを選択ということになっています。3年生は1年生、2年生での経験を活かせるし、学年を超えて競うことでプレッシャーもかかります。その結果、より高いレベルになることを期待して数年前に現在の方式に変わったんですが、3年生では劇を選ぶクラスしかいない状態がずっと続いていました。だから、3年生は劇をすると勘違いをしていた人がいるぐらいです。
そんな状況を変えて、本当にレベルの高い合唱や劇につなげることはできないかと思い、先週、2組は劇か合唱どちらにするか決めるときに、僕は「合唱をプッシュする」とみんなに呼びかけました。少しきつい言い方になってしまいますが、僕の感覚からすると、◇◇中の文化祭は劇も合唱も工夫があまりないし、取り組み段階で練習や準備に積極的に協力していないくせに、当日になると「自分たちは団結してるんだ」という雰囲気に酔う人が多いです。そういう人が多いクラスの劇は内容が薄っぺらなものになって、見ている人に何も伝わらなかったりするんです。
ミクロとマクロ
物事の一部分だけに注目するような見方や考え方を「ミクロ的」といいます。それに対して大きく全体を見渡すようなものの見方や考え方を「マクロ的」といいます。今回の合唱に取り組めないかという僕の発想は「マクロ的」立場での考え方です。
僕は、日程のことや全体のバランスなどのことも考えると、やっぱりどこかのクラスが合唱にした方がいいと思ったんです。君たちの中には、僕が、何が何でも合唱をやらせたいからみんなに呼びかけたんだろうと感じた人もいたかもしれません。もし、そのつもりなら、取っておきの劇の脚本三つをいつでも見せることができるように準備していないと思います。そうじゃなくて、今回のことについては、僕はマクロ的な発想をしただけなんです。
全体のことを考える発想や視点は大切にしたいと僕は考えています。自分のことだけを考えて行動したために、全体に影響するような大きな問題になることってよくあります。それではいけないと思うのです。
ミクロとマクロのバランス
3年生には6人の担任がいます。その全員が自分のクラスさえ良ければそれで良い。他のクラスの事はどうなろうと知らない。というように「ミクロ的」というよりも自己中心的な発想だけで行動すればいろいろ困ったことになる。それはわかると思います。
かといって全員が「マクロ的」発想で行動しようとするのも困ります。今回のように劇か合唱かを決めるとき、どのクラスも他のクラスの様子を見ながら決めようなんてことになったら、いつまで経っても決まらないことになりそうです。つまり、ミクロとマクロの『バランス』がとても大切なんです。
『担任がマクロ的な発想をするクラスは損だ』と考える人はいませんか? その考え自体がミクロ的なんです。世の中、損得だけで考えてはいけないんです。損得だけを考えたら、例えばシミュレーション物語を書いたりできません。すごい時間をかけて現地の情報をネットやパンフレットから集めて、ひとりで文を考えて、ページ数を調整しながら文を練り直して、原稿ができたら印刷もひとりでして、でも生徒の反省や感想では誰もふれない。なんか損ですよね。じゃぁ、僕は作らなかった方が良かったのか? それもなんだかさびしい話ですよね。
また、体育祭で青団だけ各競技で勝つためのポイントを書いたプリントを配りましたが、これは青団のことだけを考えたミクロ的発想だと感じた人もいると思いますがそうではありません。実はマクロ的な発想なんです。青団が団結力を見せつけることで、他の団にプレッシャーがかかる。きっと、どの団もしっかりと考え行動することになるでしょう。そうして学校全体が体育祭で盛り上がっていく。それが僕の本当の狙いです。
同じように今回劇にするか合唱にするかについては、たまたま僕がマクロ的な発想をしただけのことだと思っています。また、いつもいつも僕がマクロ的発想で行動するわけではかぎりません。状況によっては僕がミクロ的発想で行動することもあります。その代わり、その時には誰か他の先生がマクロ的発想で動いてくれます。
ミクロとマクロのバランスとは、そういうことなんです。 つづく