視点 自分と周囲の人達

「視点」と常識

 掃除とか係の仕事などをきちんと出来ていない生徒に注意したら「ちゃんとやってます」という返事が返ってくることがあります。きちんとできていないから注意しているのに、こういう返事が返ってくるということは、おそらく、その人の「ちゃんとやってます」という言葉の前には「自分なりに」とか「自分としては」などがくっついているのだと思います。つまり、「自分」が基準であって、「自分」を中心に考えているということになると思います。
 「自分」を中心に考えているということは、自分のやっていることが「周囲の人から見たらどうか」「周囲の人たちはどう感じるか」という視点が欠けていると言えます。道徳の本に出てきた「空虚な問答」の2人の中学生か高校生の男の子にも、自分たちのやっていることが「周囲の人から見たらどうか」「周囲の人たちはどう感じるか」という視点が欠けていると言えるでしょう。この視点は別の言い方をすれば「常識」と言えるようなものだと思いますが、それが欠けているのは大きな問題だと思います。

問題の中身

 問題のひとつは、自分で「このぐらいやればいいだろう」「これだけやれば充分だ」などとレベルの低い段階で努力することをやめてしまうこと。もっと上を目指すことで上達や成長があるのに、そうしないようでは上達や成長はなかなかできません。さらに、怠け癖とか逃げの姿勢につながるので、積極さとか前向きに取り組むことがますますできなくなってしまいます。
 次に、人間関係のつながりを作ることがなかなかできません。周囲のことを見ないで自分のことだけ、または自分と仲の良いごく少数の人間のことだけを中心に考えている人と、「団結」したり「協力」したりすることはものすごくむずかしいです。みんなバラバラになったり、周りの人たちが我慢をするとか、誰かがしんどい思いをしてがんばって、なんとかクラスとしてまとまっているような状態になったりして、どうしてもどこかに無理が生じてしまいます。
 また、人間関係を作ることができるかどうかに深く関わってくるコミュニケーション能力は、社会に出た時に必要となることが多いものです。誰かから何かを言われた時に、きちんと応答することはコミュニケーションの基本だと思いますが、道徳で学んだ「空虚な問答」の男の子のように注意された時にきちんと応答できないまま大人になっていけば、将来困る場面が多くなるでしょう。
 しかし、君たちは、まだ成長の途中です。うまくできないこともあるでしょう。だからこそ、素直に受け入れるべきことは受け入れ、反省すべき点は反省して、次につなげていかなければならないと思うのです。

誰にも迷惑をかけていない?

 以前学級通信で、提出物のことに触れました。これも、ここまでの話と、どこかつながっているような気がします。自分はクラスの誰にも迷惑をかけていない。そんなことを考えているならば、やはり、周囲のことを見ていないと言えると思うのです。
 でも、それは間違っています。同じ集団に所属していれば、必ずどこかでつながりがあります。巡り巡ってお互いに何らかの影響を与えることになってしまうのです。『情けは人のためならず』ということばがあります。他人にやさしくすると巡り巡って自分によい報いとして帰ってくるから、他人のためではなく、自分のために他人にやさしくしましょう。というような意味ですが、人と人とのつながりをうまく表現しているなぁと思います。
 迷惑をかけているとしても、たいしたことじゃない。そんなふうに考えている人もいるかもしれません。確かに、まったく誰にも頼らずに生きていくことはできません。でも、普通、そういったことは「お互いさま」と言える範囲のことであって、ことさら問題にすることではありません。でも、お互いさまの範囲を超えて、不必要に周囲の人にイヤな思いをさせるようなことは減らすことができるだろうし、できる限り減らすべきだと思います。
 クラスみんなが提出物をきちんと出すところからしっかり取り組むことで、新しい4組を作って欲しいと願っています。