「№1よりONLY1」?

№1のクラスかONLY1のクラスか

 教師として自分が担任するクラスをどんなクラスにしたいのかは、常に考えていなければならないと僕は思っています。きっと他の先生たちも同じようなことを考えていると思います。その際に「№1よりONLY1のクラスを目指したい」という先生を数年前ぐらいから見かけるようになりました。
 そんな先生と詳しく話をしていないので「№1よりONLY1のクラス」がどんなクラスだと考えているのか、その具体的な内容まではわからないから、今からする話は少しずれるかもしれませんが、僕はその「№1よりONLY1」という言葉についてすごく違和感を感じています。「ONLY1」を目指すというのなら、まだ少しは理解できる気がするんですが「№1より」がくっつくと「ちょっと違うんじゃないか?」と考えてしまいます。教室の入り口に暖簾をかけ、教室内の天井や窓、後の掲示板などに季節ごとの飾りつけをしているお前が言うなと言われそうですが、本当にそう感じているんですから仕方がありません。

サボる口実になっていないか

 少し前の話ですが、2月ごろに当時2年生のあるクラスの授業で提出物が成績にどう影響するかを進路のことと少しからめて話をしました。するとある生徒が「人間の価値は成績だけで決まらないと思いま~す。」と言い、続いてとなりにいた別の生徒が「うちらはONLY1を目指すねん。」と言って二人でちょっと盛り上がっていました。その二人の話を聞いて僕は努力をしないで楽をするために、つまりサボるための口実として「№1よりONLY1」を使ってるんじゃないかと感じました。二人とも授業中によくおしゃべりをして注意されていたし、授業プリントを綴じたファイルを提出していないことが多かったからです。どんなにいい加減であっても、「ONLY1」であるといえばそのとおりなんですが、でも、それは間違った使い方ですよね。
 №1を目指すにはいろんなことでコツコツと努力をしなくちゃいけないし、取り組む工夫を考えたり時間を確保するためにやりたいことを我慢したりすることもあるでしょう。正直しんどいと思いますが、その中にこそ人間として成長する部分があると思うのです。
授業中はきちんと集中して話を聞き、作品は丁寧に作り、提出物も完璧に出して、もちろんテストでも全力を尽くす。そういう人は「№1よりONLY1」とはあまり言わないような気がします。何の努力もしないで「これが自分らしさだ。ONLY1なんだ!」などと自分で自分を納得させてみても、そこには大きな成長は少ないと思うのです。
 また、人間の価値の話でいえば、もっと上を目指して努力を積み重ねていく人と、大した努力をしなくてもすぐに達成できるような低い目標を設定してあまり努力をしない人とでは、どちらの人の価値が高く評価されるのか、多くの人の意見は一致すると思います。

成長につなげよう

 歴史を振り返ると、人類はさまざまな道具や機械などを発明してきました。もっと工夫したら、もっといいものができるんじゃないか。そんなより良い結果を目指す姿勢が、工夫をする努力を積み重ねたり、新しいアイデアを生んだりするエネルギー源になりました。もしも「もうこれで十分だ。」などと低いレベルで満足していたら、今のような科学技術の進歩はなかったと思います。
 同じようにクラスであったり個人であったり、状況によっていろいろありますが、今よりももっと上の№1を目指さずに、このぐらいでいいやなどと考えていたら、進歩や成長にはつながりにくいと思うのです。
 もちろん、みんなが№1になれるわけがありません。どうしても多くの人が№1にはなれません。だからと言ってそのことを理由にして努力をしても無駄だからやめておこうと考えるのもやはり間違っています。
 大切なことは№1になることではなく、少しでも今の自分を越えていくために№1を目指すことです。だから、みんなで頑張ったなら結果が№1じゃなかったとしても、僕は構わないと思っています。頑張ったあとで振り返ったら、きっとみんな成長しているからです。そして、その時にはクラスにとって一人一人がかけがえのない存在になっているからです。