学校の中の民主主義
くじ引きで席替え
以前、クラスの席替えを話し合いではなくくじ引きで決めようと言われたことがあります。その理由は、準備に時間がかからないこと。だから何度も席替えをすることができること。何度も席替えをすれば、そのたびにいろんな人と触れあうチャンスが増えて、あまり話をしたことがない人と仲良くなれるかもしれない。といったものです。
でも、僕は席替えをくじ引きでは決めません。例えば、くじ引きで席替えしたばかりなのに、すぐに席替えをしようと言ったり、次の席替えを心待ちにしたりする人が出てくることがあります。そんな人たちは、新しい人間関係を望んでいません。望むのは仲の良い友達と、同じ班になることです。偶然くじ引きでそうなることを期待して、何度も席替えを求めるんです。それでいいのか? そんな思いがあるからです。
※この投稿内容は、かなり前のものです。今では深い学びなどの視点からくじ引きを推奨する考えが広がっているようです。
必要な配慮
他にも理由があります。40人近い人間が集まれば、中にはいろんな人がいます。人間関係を作るのが上手な人や苦手な人。悩みなんてないって人もいるけど、深い悩みを抱えている人もいる。で、悩みを抱えている人にもいろいろあって、精神的に閉じこもり気味になってしまう人もいるかと思えば、本当は悩みを抱えているけど、それを見せたくないために学校では無理をして明るくふるまって、家に帰るころには精神的にヘトヘトに疲れ切ってしまい、家族に甘えたり八つ当たりしたりしてストレスを発散するような人もいたりします。そういう人の中には、進路を考えるときに「同じ中学校の人が誰も行かない高校に行きたい」と考える人もいます。
毎日楽しく学校に来ることができる人にとって、心がモヤモヤして毎日が憂鬱な人の気持ちは理解しにくいところがあるみたいで、その人自身の努力が足りないとか、考え方や気の持ち方で変わる とか言われがちです。でも、人の心ってそうは簡単に行かないから悩むんであって、また、自分でも分かっているのにできないから困るんであって、そんなことを周りからたくさん言われ続けると、まるで自分に対して攻撃されているように感じてしまうこともあります。
くじ引きで座席を決めると、そういった人に対して配慮することが出来ません。また、そういった人ほど、クラスの中で意見が言えない場合が多く、だからこそ、周囲の配慮が必要なんだと思います。クラスの中に何らかの配慮を要する人がいるのに、何もしないことはその人を切り捨てるということになってしまうようで、僕はいやなんです。
人に配慮するとか優しくすることが損だと考える人がいます。そんな人は電車の優先座席なんか必要ないと考えます。それはとんでもないと思います。ケガや病気のために電車で座りたいと思うときが起こるかもしれません。将来自分が年を重ねて身体が思うように動かなくなったときにも、優先座席は必要ないと言い続けるのでしょうか? 人に優しくすることは、お互い様なんです。その時に心や身体が元気な人が周囲に配慮し、優しくすることは人として自然なことです。また、周囲に優しくできる人は、周囲から大切にされ優しくされます。決して損はしません。
学校の中の民主主義
民主主義とは、みんなを大切にする思想です。いろんな考え方や性格があることを受け入れ、大切にし、その共存を図るということです。それに対して独裁主義は、頂点にいる人を大切にする思想です。いろんな考え方の存在を許さず、独裁者とその周辺の一部の人にとって役に立つかどうか、といったことで大切にされる人間が決まります。先日、テレビである独裁国家の現状を見ましたが、ひどいものでした。
日本は民主主義国家です。人を切り捨てないようにする考え方をしていくべきです。だから、席替えもその方向で進めて行きたいです。試行錯誤を繰り返しながらいろいろと考え、議論を繰り返し、よりよいものを目指していく。それが学校の中の民主主義だと思っています。誰かに任せると楽だけどそうしないで、自分で考えて実際に行動もする。少ししんどいときもあるけれど、それだけの価値はあります。その過程で、お互いの人間関係もできて、成長もできるんですから。
銀河英雄伝説という小説に『民主主義とは対等な立場の友人を作る思想であって、主従をつくる思想ではない。わしは良い友人を持ちたいと思うし、誰かにとって良い友人でありたい。』というようなセリフが出てきます。みんなもどうすれば「自分が誰かにとって良い友人」になれるか、それには何が必要か、席替えを機会に考えてみてください。